「ひぐらしのなく頃に」のターニングポイント「目明し編」
中学生時代に「ひぐらしのなく頃に」にハマり、漫画を追いかけ、アニメを完走し、高校に進学した後はDSの絆をプレイする人生でした(今はひぐらし業をリアルタイム視聴中なんだから、続く作品は続くのですな)
漫画から入ったこともあり、「鬼隠し編」がめちゃくちゃ怖かった……!
だからこそハマり込んだのかもしれない。
当時はレナが好きでしたね。
今でも2番目です。
「目明し編」を読んで世界が変わった
私のひぐらしに対する見解が変わったのは、目明し編を読んだ時。
如何せん、解答編のスタートとなる物語なわけで、目明し編を読むとみるみる綿流し編の答えが見えてくるわけで。
当時は考察的な面ではなく、単なる物語と演出を楽しんでいたので勝手に納得していただけですが……。
多分、ちょっと考えれば双子の入れ替わりなんて誰でも見抜ける謎なんですが、私はそんなこと考えてなかった。
圭一目線にいたので、とにかく周りの人がいなくなることに恐怖を覚えていました。
だから詩音に対しても一緒にいてくれ!という気持ちしかなかったし、レナに秘密がばれるの怖かったし、魅音はどこか信用ならなかった。
だから入れ替わっていたと知った時はびっくりしちゃったんですよ。
まんまと作者の罠にハマった感じですよね。
あそこのシーンは裏側から見るとこうだった。
あのキャラクターの行動にはこういった意味があった。
次々とピースが勝手にはまっていくのを見て、この作者、めちゃくちゃ作りうまいなと感心したくらいです(生意気な学生で申し訳なかった)
出題編は恐怖がメインだったけど、目明し編からは恐怖の裏側が描かれ、今までの作品が全部違う世界に見えた。
そして、裏を暴いたのに、狂気に支配されてしまった詩音が辛くて切なくて寂しかった。
「目明し編」は恋愛要素が強い
朴念仁な主人公が女の子の好意には気づかないけど、いろいろ気を回してもらってよくしてもらう(気づいたら恐怖の渦中ですけどね)
目明し編では圭一が登場しているにも関わらず、主人公が圭一から詩音へ移りました。
舞台は昭和57年から描かれ、園崎家や雛見沢の闇が色濃く描かれていきます。
北条家に関する問題も、悟史くんを通して詩音から語られます。
一番色濃いのは、園崎家の双子問題だとは思いますが。
綿流し編・目明し編における狂気の正体は詩音が悟史くんに向ける恋心。
だからこそ目明し編の半分を使って昭和57年を描いています。
光の下を歩くことも許されない詩音が望んだのは悟史くんとの時間。
うきうきと彼に会えるんじゃないかってるんるんしている詩音が可愛すぎる……。
また、詩音の愛の重さが表れてくるのは悟史の妹・沙都子に対してですね。
あいつさえいなければ、みたいなどすぐろい感情が漏れ出ちゃってますが、憎む分だけ彼女なりに悟史くんのことを想っていたんでしょう。
最終的には悟史くんを守るために、自身の身を危険に晒すわけです。
お世話になっていた人たちもみんな巻き込んでまで。
中学生らしい幼稚な行動ではありますが、私はここまで誰かを想えるなんてすごいことだと思っています。
詩音の原動力は恋。
他のキャラクターを見ても、ここまでたった1人のために暴走する子、いないですよね。
・幸せのノート
これを読んだ熊谷刑事の発言が、多くの人の意見を代弁していると思います。
「…狂人の日記ですよ。読んでいるこっちまで狂いそうになります。最後のページの、生まれてきてごめんなさいなんて、…読んでいるこっちまで飛び降りたくなりますよ…。」
多くの人が詩音に同情できず、やばいやつだと思ったのではないでしょうか。
私だってやばいなとは思います。
だって、結果的に園崎家関係なかったし、誰も詩音や悟史を貶めようとなんてしてなかったんだから。
なによりも、どんな理由があったって惨殺の数々は許されない。
そんな前置きをした上で、私は詩音が可哀想だと思うよ。
ぶっちゃけ言うと、魅音が変に隠し立てしなければ生まれなかった誤解だってあると思う(目明し編だけじゃなくね!)
ずっとずっと孤独な立場に追いやられていた女の子が、あんな助けれ方したら惚れるわ。
そんな大好きになっちゃった男の子が、自分は最善を尽くしたはずなのに消えてしまったら……受け入れられないよなぁ。
よりによって頑張って傷ついた兄貴が消えて、甘えてばかりだった妹は友達と仲良くやっているなんて聞いたらやりきれないさ。
そして悟史くんの場所だったところに圭一がきて、いつの間にか彼に惹かれそうになっている自分がいて、魅音はもう悟史くんのこと忘れて圭一に夢中で。
雛見沢症候群を発症していなくても狂ったんじゃないかな。
むしろ雛見沢症候群を発症して、羽入を悟史くんだと錯覚していただけ精神支えていたんじゃないか。
あまりにもやばい殺人の数々は……雛見沢症候群を発症していたせいだとは思うけど、詩音の直情的な面は暴走しやすいのも確か。
話は戻るけど、全部全部悟史くんを想って、悟史くんへの想いが起因となって詩音は行動していたんだ。
それが途中から言い訳になっていたとしても。
詩音にとって悟史くんへの想いは彼女を形成する一部にまでなっていた。
そして、やっぱり私が詩音を好きでいる一番の理由が大石さんのラストのセリフ。
「…………でも。幸せな日記じゃあないですか。」
「この日記だけで、悟史くんって名前、何回くらい出てくると思います? ………詩音さんは本当に悟史くんのことが好きだったんだなぁって。その好きというのがね、若さゆえの勘違いで、ずれちゃって。」
表舞台に出てくるクロは本当の黒幕じゃない
目明し編を見れば明らかなことですが、詩音も結局雛見沢症候群を悪化させ物語屈指の惨劇を起こしました。
もちろん詩音にも非はありますが、助長させたのは病気でありますし、あまりにも環境が悪かった感じがします。
罪滅し編のレナもそうであるように、一見惨劇の原因と見える人物はルールXによって選ばれた被害者であって、彼女たちをなんとかしようとしたところで雛見沢の問題自体は解決しません。
それこそ梨花ちゃまの運命も。
「ひぐらしのなく頃に」という世界観をがっつり明示してきた点でも目明し編はターニングポイントであり、私がひぐらしにドブンしたポイントでもあったわけです。
「幸せのノート」はゲーム・小説じゃないときっちり描かれていないので、ぜひそちらもお手に取ってみてください。